イランの歴史

古代 〜ペルシア帝国〜

 

今から歴史をさかのぼること約2500年、古代オリエント世界を統一する大帝国を築いたアケメネス朝ペルシャ(紀元前540年成立)が興った場所でした。アケメネス朝の後、226~651年にわたって栄えたササン朝ペルシャ時代には、シルクロードを経由して、遠く日本とのつながりも生まれました。

奈良・正倉院に収蔵されているガラス器「白瑠璃碗」は、往時のペルシャ帝国の繁栄をしのぶ品として有名です。

 

現在のイランはイスラム教国家ですが、もともとササン朝ペルシャの時代までは、イラン中央部の都市ヤズドが発祥とされるゾロアスター教の国家でした。

 


近現代 〜イスラム革命後〜

 

近代化、脱イスラム化を旗印とする「白色革命」が進む中、国王批判を展開したホメイニ師(後のイスラム共和国の初代最高指導者)は、政府によって逮捕され、後に国外へ追放されました。国民はこれを宗教弾圧だとして不満を募らせていき、1978年、ついにこの不満が表面化しました。

 

事態収拾に行き詰まった国王は翌1979年、国外に退去。国王と入れ替わる形で、ホメイニ師が15年ぶりに母国イランへ帰国し、パフラヴィ朝に代わる「イスラム共和国」の設立を宣言しました。(イラン・イスラム革命)

 

 

イラン・イスラム革命から間もない翌1980年、イランが再び国際社会の注目を集める出来事が起こります。それが、「イラン・イラク戦争」です。争いの発端は、両国経済を支える「石油」の輸出の要所で、国境付近を流れる「アルヴァンド川(シャットル・アラブ川)」の使用権をめぐる衝突でした。この時、米国、欧州、ソ連などは、敵対するイラクのサダム・フセイン政権を強力に支援。

 

1988年に停戦が成立するまで、攻防が続けられました。8年間に及んだイラン・イラク戦争は、両国に多くの犠牲と経済的損失をもたらしただけでなく、中東地域、ひいては国際社会の安定にも大きな影を落としました。

 

2002年以降、イランのアフマディネジャード大統領は、原子力発電など「平和利用目的」での核開発を主張しウラン濃縮活動を続けるとし、国連安全保障理事会は制裁措置などを含む決議を採択しました。

 

2013年8月のローハニ政権誕生後、イランは5%を超えるウラン濃縮の活動制限などと引き換えに、一部の制裁の緩和を取り付けました。合意内容が実施に向けて動けば、海外企業にとってビジネス再開の好機となり、イラン経済回復の見込みも高まります。

 

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