2015.3 1500万円のグリーンダイヤモンドたち

ピスタチオ農園, イラン産ピスタチオ


4th Avenueが立ち上がって1年。ようやく1コンテナ、12.5tonの大型オーダーを携え、イラン、モスタファのもとへ。ようやくトライアル→仕事らしくなってきたなと思いつつ、経由地のインドからイランへ向かう。

 

。。。としょっぱな国際線が1時間以上遅れて到着し、通関でもインターナショナルのところだけ長蛇の列。イラン人向けの通関はさっと終ってそこはクローズ。僕の後ろにいたはずのインド人が、徐々に横に並んできて、前の人の背中に唇がつくかというほど詰めて並び、いつのまにか僕の前に居た。さらにちょっとしておばあちゃんおじいちゃん集団が、係の人に連れられ、優先的に先頭に案内され、前にいたおじさんが、それはお年寄りをいたわる云々とは違うだろうと揉めだした。

 

で結局飛行機が着いてから外に出れるまでに1時間半位かかり、国際線のエマームホメイニー空港から30kmほど離れたテヘラン中心部にある国内線のメヘラーバード空港に向けタクシーを即効で拾い、すっ飛ばして向かった。国内線の出発時間まで残り1時間。空港近くなるに連れ、ひどい渋滞になってきた。陽も暮れ始める時刻。そして、なぜかイランは日本のスマホのローミングも効かず、電話もできない。

 

なんとか滑り込み15分前にメヘラーバード空港に着き、カウンターの係の人を捕まえ、出発5分前でチェックイン!と思ったら、もうクローズ。大概イラン含め海外の国内線は遅れるから5分前でもセーフなことが多々あるのだが、今回に限ってアウト。さぁしょっぱなからややこしくなってきたぞ。

 

電話もかからないからモスタファにもテヘランにいる友達にも連絡できない。公衆電話があっても現金じゃなくテレカしか対応してない。イランは英語が通じないので、身振り手振りでテレカ探し。デカい荷物を引きずりながら、右往左往、空港には外国人なんてほぼ皆無なので、あのチナ(中国人)大丈夫か的な感じで注目を浴びている。

 

そしたら散髪屋のお兄さんが2人、「どうしたの?」と笑顔でペルシャ語で話しかけてきてくれた。「携帯が繋がらなくて、友達に電話したいんだけど」と伝えると快くケータイを貸してくれ、モスタファに速攻電話で事情を端的に説明し、そしてテヘランでいつもお世話してくれる友達のホセインに電話し、来てもらう事に。「ダステッダードナコネ」(感謝します)と散髪屋のお兄さんにお礼を伝え、まぁくたびれながらホセインを待つ事3時間。

 

夜9時頃にホセインが駆けつけてくれ、ホッと一安心。出来るだけ早い飛行機を取り直そうということになり、カウンターへ。そしたら今晩の飛行機は全て埋まっているとのこと。明日の夕方ならOK... でも今回はスケジュールがタイトで一日も無駄にすることはできない。ので、ウェイティングリストで、ミッドナイト発の最終便を予約する事に。


確率的には空くことが多いから"たぶん"大丈夫だろうとのこと。国際線が遅れたが故だと伝え、ウェイティングリストも最上位にしてもらった。「23時半にカウンターに来て下さい」と言われたので、ホセインにその時間まで待ってもらい、ご飯を食べたり、ホセインと近況報告であーだこーだ話しながら時間になったので、カウンターに再び戻る。すると10人以上の人たちがカウンターを取り囲み、我先にとチケットの空きを取ろうとざわざわしている。

 

そしてホセインと僕が人ごみをかき分けスタッフに話すと、まだエコノミーは空きが出てない。ビジネスクラスは今空きがあるとのこと。費用は2倍。さぁどうする。飛行機出発まで30分。ビジネスもいつ埋まるかわからない。 

 

んんん。。

 

 

「イェス!ビジネスで行こう!」ビジネスで快適なイラン国内の旅。ホセインにお金を借り、大きな座席で座った途端、眠りについて、あっと言う間にケルマンへ。

 

 

夜中2時に、ケルマンに着き、モスタファの居るシルジャンまではさらに車で3時間かかるので、ケルマンに住む以前お世話になった友達に迎えに来てもらい、彼の家で一晩泊まる事に。

彼は大学院生で、フォレックスをやりながらファイナンスの勉強をしている。

 

朝食もごちそうになり、バス停まで送ってもらい、シルジャンまでのバスチケットのお金を払おうとすると、イランに来てくれたゲストだからと言って、頑に受け取らない。そしてバスが出発するまで1時間ほど待ってくれて「メルシー、ダステッダードナコネ」と伝え、そういえば日本からスウィーツのお土産を持ってきていたので、「これ、日本のお菓子です。」と渡してお別れした。

 

イランに着いてからもうすでにカオス化していて、イランの人たちにお世話になりっぱなし。表情的にヤツレていたから、ちゃんと感謝の気持ちが伝わっただろうか。

 

 


イラン産ピスタチオ, ピスタチオ農園

ーピスタチオの聖地シルジャンー


モスタファにバス停まで迎えに来てもらい、一安心。「ヘイ、モスタファ!久しぶり!元気そうやん、ピスタチオの状況はどう?!」と安心すると同時に、すぐ仕事モードに切り替わり、疲れも吹っ飛んだ感じで、僕らのピスタチオが用意されてるところに直接向かうことになった。

 

 

今回は、モスタファの家族ぐるみの友人の国内トレーダーのハミッドに12500kg用意してもらっている。モスタファに監督してもらい、もうすでに選別もかけてもらっている。

 

大きな倉庫にずらーっとピスタチオ袋が並び、中身を確認する。「ふむ、ナイス!」見た感じも予想以上に上質なピスタチオ。一安心。

その足でサンプルを採り、シルジャンから車で2時間半のところにあるラフサンジャンの研究機関でアフラトキシンテストをする段取りになっていたが、ここでもまたプロブレム。

ピスタチオ 商社
若きトレーダーハミッド(真ん中)とモスタファと

ケルマン州唯一のEU公認の検査機関がピスタチオ検査用の溶液か何かが切れているらしく、検査があがるのが1週間後になるとのこと。

 

検査にパスしないと、ローディング、通関に進めない。そうこうしてるうちに滞在予定の2週間があっという間に来てしまう。

 

モスタファに電話を何度か掛けてもらい、どうにか週末には検査結果が出るようにと催促し、なんとか承諾を得る。

 

そもそもの流れ的にはまず、ハミッドが独自にアフラトキシンの検査をかけ、その後OKだったら僕ら独自のサンプルを研究機関に持って行くという手筈だったのが大幅に遅れることになった。ハミッドの検査結果を待ってからだと時間がかかり過ぎるので、ハミッドの結果を待たずに同時に僕らの検査をしようということになった。


ということで、各袋からまんべんなくサンプルを取るにはどうしたら良いかの会議が始まった。

イラン産ピスタチオ, ピスタチオ農園

 

 今は農家ごとに白い袋に詰めている状態だけど、一袋50kgの計量はまだしていないし、サンプルはすべての袋からまんべんなく20kg抽出する必要があるので、とりあえず一度全部を開けて混ぜてしまい、そこから50kgの袋に計量して250袋に詰めて行く過程で、そこからちょっとずつ抽出しようということになった。

 

 ということでその晩の夜9時頃に、ハミッドのワーカーを10人ほど呼んでもらい、詰め替え+サンプリング作業スタート。

 

手際良く分担し、そしてベルトコンベアを使いどんどんとピスタチオの袋が開けられて行く。かなり手際が良い。”さすが”と言ったところである。

 

そして詰める作業も、洗練された詰め作業で山のようなピスタチオも数時間で50kgも終りだなというところで、次のプロブレム発生。

 

デジタルの量りが壊れた。なんども電源を入れ直すも、0表示に戻らない。。予備の量りも、0表示にうまくならない。

 

モスタファとワーカーが車を走らせ、別の量りをどこからか調達してきて、すべて一から量り直し。そんなハプニングにも表情をひとつ変えず、楽しそうに冗談を良いながらも手際良く、量り、微調整をし、50kgの袋がどんどん出来上がって行く。そして深夜に終了。

 

サンプルもきっちりまんべんなく用意でき、急の呼びかけにもかかわらず手伝ってくれたハミッドと皆に感謝、これだけ多くの人が誠実に関わってくれていて、この取引が成り立っているのだなと初日から、帰る車の中で感慨に耽っていた。

イラン産ピスタチオ, ピスタチオ農園

 

 翌日、20kgサンプルの袋をトラックに詰め、朝5時に家を出た。検査機関のあるラフサンジャンまでは2時間半。

 

無事サンプルを渡すと、ハミッドのサンプルもそこにまだあった。そして週末に両方テスト結果を出してもらうことを再度確認してから、銀行に向かう。僕たちが日本から送金したお金がちゃんと届いているかだ。

 

無事お金も入金されていて、前回の輸入の時にモスタファが色々と小切手で購入し、まだ払えて無かったところにも今回のお金ですべて清算して一安心。

 

ひとまずは週末まで検査結果を待つだけになった。

 

 

その間に、新しいラベルをデザインしたり、印刷したり、輸出用の細々した備品、トラック輸送時に床にひく大きなシート、など色んな買い物もした。

イラン産ピスタチオ, ピスタチオ農園


翌日は、ハミッドが招待してくれ、山にBBQしに行く事に。彼の最新のランドクルーザーで快適な旅に。と思いきや、ぐんぐん山を登っていき、ちょっと踏み外したら底の見えない谷底。そんな道をぐにゃぐにゃ登っていき、(こんなリスクの高い遊びは未だかつてなかいよな。)と思った。


 

ホッと安堵して登りきると、山の上に小さな町があった。こんな辺鄙なところに町が。そこそこ良い生活をしている。


"ふむ不思議だ。"

 


そこを通り過ぎてさらに山の頂きを目指して進むと、一気に山が開けた。

そんな山の開けたところに、広大なフィグの木がずらーっと植えてある。

 

こんな風景は見た事が無かった。ハミッドの父とその友人も一緒だったのだが、その友人やその町の人たちがこの広大な土地にフィグの農園を所有しているのだ。

 

フィグは水が入らず、自分で水分を蓄えることによって実が甘くなるフルーツ。モスタファもパリズに小さなフィグの苗木を植え、農園を作ろうと真剣に考えている。


イラン産ピスタチオ, ピスタチオ農園


そしてようやく小さな小屋に到着し、早速BBQの準備に取りかかる。 


皆で協力し、火をおこして石炭を作り、ケバブを焼き始めた。

 

メロンやバナナなんかのフルーツもたくさんあり、すべてのイラン人が食後に必ず飲む、紅茶ももちろんポットに入ってる。

 

 

こんな爽快なところでのBBQは違う。大自然に囲まれ、フレッシュなものを頬張り、談笑し、真剣な話しもする。

 

 

 

 

 

こういう贅沢な時は、お金では買えない。


イラン産ピスタチオ, ピスタチオ農園


 

食後、モスタファと色んな事をディスカッションしながら周辺を散策しに行った。

 

ーイランイスラム革命ー

1979年にイスラム革命が起きた。その時秩序がなくなり、政治家や法律関係の人など、一部の利権を持った人たちがその混乱に乗じて急激にリッチなった。そしてその貧富の差の名残が未だに大きく普段の人々の生活に反映されているようだ。

 

そしてイスラム教がベースになったことで、あるイデオロギーの中で人々は生活していく事となった。ある一定の形以外の自由は抑圧された。もちろんお酒やギャンブルもそうだし、娯楽もそう。女性は皆ヒジャブを被る。

 

資源の管理も為されなくなり(イスラム教の下では自然のものは皆のもので自由だから)、一気に砂漠ががすすみ、もともと湖だったところは白く塩だけが残っているところや、掘削で穴を掘って地下水も枯渇し、徐々に灌漑の深刻さが迫ってきている。

(今、最新技術を駆使し、鉱山の為に何百キロもの距離を太いパイプで海水を持ってくる計画が進んでいる。)

 

 

それまでのイランは、王制で経済もものすごい勢いで伸び、2000年には世界の裕福な国の一つになるとも言われていた。しかし現状はイスラム革命以降、今の厳しい状況だ。

 


最近はインターネットも普及し、センサーをかいくぐって、FBや衛星放送で外国の情報がどんどん入ってくる。そういう若者世代には反イスラムが多く、デモを起こしたり、国外に移住しようする人たちも多い。そこに希望はある。しかし選挙で選ばれるのは大統領だが、その上にイスラム教シーア派の最高指導者、ハメネイ師が君臨しているので、国民の声が反映され、民主主義的には変わっていくのはまだ難しいだろう。


そうした先の見えない暗闇の中、経済制裁を受けたり、スンニ派の周辺国に囲まれているイランの人たちの思いというのは、容易には想像することができない。


 

ーIslamic Stateー

日本では、

"サイクス・ピコ協定でイギリスとフランスが侵攻し勝手に分け分けして不自然な国境線を引いて分断して作られたシリアとイラクの国境線を引き直すことが目的だ"

と報道されたりするけれど、イスラム国のフラッグのロゴは1200年前のイスラム教の帝国が中東全域を支配していた時代に戻すというような壮大な目的があるようだ。

 

 

その他、アフガニスタンからのアヘン密輸の通り道になっているイランでのアヘン中毒者たちの問題や、アヘン戦争の事、日本人女性は結婚する上でいいのか、現代の女性の結婚観など色々話した。


 


 ーPARIZ農園ー


次の日、モスタファのお父さんのピスタチオ農園に行った。

 

イランでは良い剪定ばさみとノコギリが手に入らないので、お土産に持ってきてほしいと言われたから、サムライシリーズのノコギリと、地元の近くの三木鍛冶屋の剪定ばさみを購入して持って行った。

 

実際に使ってもらって、あんまり良くなかったらどうしようか不安だったけど、チョキチョキ、チョキチョキ、ギコギコ、スパンスパン、かなりイイ感じに切って、「これはイイ!」と、そんなに感情を出す人じゃないモスタファ父が、えらい喜んでくれた。

 

パリズ農園にちょこっと仲間入りできた気がし、(少しでも貢献できたかな)と嬉しくなった。

 

冬にちょきちょきするのは、乾燥した木や枝を切る為。余分な部分はカットする。ドライした枝木は野うさぎがかじってダメージを与えるのだ。だから根っこの辺はペットボトルを被せて守ったりもする。

ピスタチオは一年おきに、良い収穫と悪い収穫が交互に来る。それはなぜかと言うと、今年芽が出るところと、来年芽が出るところは違うから。

 

去年芽が出たところは、ドライになってるのでチョキチョキする。

 

次に重い土と砂の話。重い土は栄養もあっていいのだけれど、水はけが悪くて、灌漑した後、日光によって固まってひび割れしてくる。だから砂をトラック一杯運んで来てこの時期に混ぜるのだ。

 

それもたくさんの費用がかかる。でも良いピスタチオを生産するには必要。


そして肥料をやる前に、木の横にずらーっと溝を掘る。そこに動物性の肥料を入れていく。

するとうまく土と混じって良く育つそうだ。

 

収穫後も頻繁に農園に来て、たくさんやることがあるんだな。



これは昔ながらの灌漑。ピスタチオの木一面がちっちゃな池みたいになる。

 

なんか不思議な光景。

 

 

 

 

モスタファファーザーは水が好きなので、その風景との一枚。僕も水が好きなので、気が合う。

 


そしてとうとう検査結果が出た。


 

念には念をということで、3回テストをして、すべて0。

ホッと胸を撫で下ろすのもつかの間、その足でローディング作業に取りかかる。

 

出来るだけ無駄な空白の時間を作らないストイックな方針にしていたので、夜の7時から、出荷作業スタート。

 

ラベルを貼ったり、シーリングをしたり、変な鉛のようなものを付けたりして、深夜に12.5トン全てトラックに詰め、そのトラック自体の重量を量って、積む前と積んだ後を比べ、OKという認証をもらう。 ふー。



左二人が検査官、ベテランの通関士、そして新パートナーのハミッド
左二人が検査官、ベテランの通関士、そして新パートナーのハミッド

 


翌朝、シルジャンのカスタムで、検査官の無駄に細かいチェックを受けた。一悶着あったが無事OKが出て、


トラックにGPSを付けて、港までは開けられないようなシステムでトラックの荷台の扉が閉じられた。



実は、その日、港は昨夜の雨で洪水になっており、封鎖されていた。

こんな時にちょうど洪水になったのだ。


もしもの為に、数万円で独自の保険にも入り、万全を期して、グリーンダイヤモンドを見送った。






 

 

息をつく間もなく、怒濤の2週間が過ぎたが、やりきった感はある。

そしてたくさんの人が関わり、このビジネスは成り立っていることをしっかり受け止める。

今回力を合わせ、全力を尽くしてくれたハミッドとそのチームに感謝。

 

 

でも実際に神戸の港に着く4月終りまでは気が抜けない。

 

 

 

 

 

 

 

追記〜 帰りの飛行機は17時間以上遅れ、空港で寝た。そしてインドの予定してた国内線にも乗れず、トイレで身体をうまく洗ったりしながら、さらに空港で寝た。

 

 



そして無事インドのコルカタに着き、バングラデッシュのパートナーと合流し、深い眠りについた。