一個の人間

イランから戻ってきて、何か燃焼でもしてきたのか、何か抜けている。腑抜けている。

 

 

何か常々びびっている。勇者のそれとはほど遠く、

 

小学生が、別に悪い事したわけでもないのに、自分の意志を確立できていないが故にか、

本当は何が正しく間違ってるのかを自分なりに判断できる段階にないが故にか、

怖い先生に対し、そのままそれの言う事を鵜呑みにしたり、怯えたり、良いとこ見せようとしたり、へらへらしたり、そんなような。

 

 

 

 

 

なんというか今、威勢がなくなった。虚勢すらなくなった。それに伴い無難にいこう、当たり障り無くいこう、という発想が無意識にも侵食してくる。

 

例えば今日、商工会議所の担当者に、有りがちな僕らのビジネススタイルやビジネス自体を指摘された時、それを、まぁ流した。

ある種しょうもない、"大人"の対応をやってのけた。 ん? "小学生"の対応をやってのけた。そこにはスノッブの無駄な知恵袋が含まれている。

 

 

たまにパッと頭に浮かぶのが、中井が学生時代にサッカーをやっていた頃、先輩、コーチ関係なく、同等に渡り合っていた時のこと。

あの抜きん出た強さって言うのは、(いまはまだ鈍ってはいるが、最近多少戻ってきてる)実績を残してきた自信からこそなのかもしれない。

 

 

 

 

 

何の為にビジネスを始めたのか。周りに有無を言わさず、自分の信念を貫く為じゃなかったのか!!??

 

 

 

それが今は、ぬるま湯に浸かり始め、今のところまで築いてきたもの、形になってきたものを崩さないよう、恐る恐る動き、動かされ、

社会に去勢されたような惰性的Pierrotに成り下がってるんじゃないの? しょーもない。

 

 

後手後手に回ったら負けで、意味ない。そんなの言うまでもない。誰がなんと言おうが自分が正しいと思ったら正しいのだ。相手につべこべ言う余地させ与えさせない。

そもそもそんな無駄なスペースが生まれないくらいに、足踏みでもなんでもしたらいいんだ。それの方がよっぽどましだ。

 

 

 

 

 

好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、違うものは違う、正しいものは正しい、

そんな程度のことは、ただまっすぐな目をして伝えればいい。くだらん。さっさと圧倒的な結果残して、次元を超えるぞ。

 

 

 

 

 

 

わたしは一個の人間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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一個の人間    武者小路実篤


自分は一個の人間でありたい。

誰にも利用されない

誰にも頭をさげない

一個の人間でありたい。

他人を利用したり

他人をいびつにしたりしない

そのかわり自分もいびつにされない

一個の人間でありたい。


自分のもっとも深い泉から

最も新鮮な

生命の泉をくみとる

一個の人間でありたい。


誰もが見て

これでこそ人間だと思う

一個の人間でありたい。

一個の人間は

一個の人間でいいのではないか

一個の人間

 ○

独立人同志が

愛しあい、尊敬しあい、力をあわせる。

それは実に美しいことだ。

だが他人を利用して得をしようとするものは、いかに醜いか。

その醜さを本当に知るものが一個の人間。

 

 

 

 

 

岡本慎之介

 

 

 

 

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コメント: 1
  • #1

    Dia Mohn (木曜日, 02 2月 2017 17:54)


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